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劇団犯罪友の会とは?

結成以来、野外演劇の確立と新しい演劇への試みをしてまいりました。
野外に建築用丸太数千本を組み上げ、舞台の紀行や美術・各種設備も劇団員自ら設計し、作り上げさらに夜空や都市の斜景も取り入れて、芝居の内容に応じた室内の劇場・ホールでは不可能な演劇の可能...性を追究してきました。

旗揚げは1976年、関西を中心に活動を続けています。近年では団員から俳優賞受賞者も多数輩出していますが、創立以来、野外の劇場で公演する「野外劇」のスタイルを守り続けています。

犯罪友の会の演劇の多くは毎回、戦国時代や江戸時代、終戦直後など、過去の歴史にテーマを採っています。きらびやかな遊廓のセットや衣装の着物は、犯罪友の会の大きな魅力。差し金や屋台崩し、本火・本水など、歌舞伎の技法がケレン味たっぷりに取り入れられている点も、犯罪友の会ならではの特色です。

公演は毎年春と秋の2回開催を予定し、他に東京公演や若手新人公演を行う年もあります。秋公演では大阪森之宮にある難波宮史跡公園に、特設野外劇場を丸太をつかって建設し野外劇をしています。そこで織り成すHANTOMO野外エンターテイメント!野外演劇を見たことのない方、一度は必見です!
あなたの心に感動の火を灯せる舞台になるよう、劇団員一同頑張ります!!

●劇団主宰者・武田一度

犯罪友の会の主宰者は武田一度(たけだ・いちど)。座付き作家を兼ねています。犯罪友の会での活動の傍ら、雑誌『テアトロ』などに執筆。阪本順治監督の作品にも、俳優として何度も登場しています。

~劇団名の由来~

 

1976年 劇団を結成する。劇団名を「犯罪友の会」と名付ける。

 

ドラマチックと言われるものとは何だろうか?

近松の世話物の物語なんぞは、当時では重罪人を描いている。

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にしてもあの時代の英国の道徳では、良家の姫と子息の自由恋愛は不純異性交友そのものでしかない。

しかし、それらの人間の絵模様はドラマチックであり、悲劇的・喜劇的でもある。

 

犯罪とは、人の心の底に棲むものである。

人間の深く、暗い哀しみの深度を計るものである。

どうする事も出来ない心の中の陰陽は、人を裏切り、傷つけ、全ての世界を破壊していく。

社会的犯罪を指すだけでなく、日常の中の普通の暮らしに、血の色より暗く悲しい心のうつろいがあるのである。

 

演劇は、これらの人間の状況・環境における心のうつろいを描くものといえる。

マルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」の中で描かれた、人々の心の底の犯罪性や、「反抗の形而上学」でカミュが語る不条理ゆえの犯罪性は、人の心の不確かさを解明しているものかもしれない。

しかし、我々はアジア的風土の中で考えられた、心の隙間にも目を向けなければならない。

京都三千院の一千一体の仏像の顔は全て異なっている。

そのひとつひとつの仏様の顔こそ、たった一人の心の中の表情だというのである。

今、我々はTVニュースを前にビールを飲んでいる。

画面には、何千何万という人々の死体が映っている。

 

演劇の中で、ビールを飲む素晴らしい偉大な人間とビールを飲むくだらない程卑劣な人間…。

この総体を描く事を、私達劇団の根本的テーマとして、人の心に棲む犯罪性を栄誉ある名称として「犯罪友の会」と名付ける。

誤解や中傷は覚悟の上である。

 

意味性は、劇団の方向性であり、誇りを持って名付けたのです。

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~物語のコンセプト~

 

劇団犯罪友の会の芝居は主に町人文化が花咲いた江戸中ごろ。

庶民のパワーが渦巻いた幕末等の話が多い。

江戸の出版界、浮世絵業界、芝居者の暮らし、長屋の人々の生き様は、今現在の暮らしとそうは変わらない、自由で多種多様な生活ぶりだった。

映画やテレビ、小説どころか通常習う日本史とも異なる世界…。

侍や時代をリードした歴史上の人物ではなく、その周辺で彼らを支え、共に生き別れていった無名の市井の人々を描いている。

その中には絶対的なヒーローは存在しない。

無宿人、芝居者、浮世絵師、遊び人、裏長屋の職人や岡っ引きといった市井の人々、無名の庶民の悲哀と笑いの世界がある。

彼らは大きな権力のうねりに時に翻弄され、時に利用しつつたくましく生きている。

そして時代の切れ目に各地に出没し、次の時代を動かす原動力にもなっていく。

 

野外演劇という「祭」に参加した観客はその芝居に物悲しさとせつなさを感じながらも、心を熱くして、ふてぶてしくもたくましい庶民像を感じるのでしょう。

 

 

~野外特設劇場の魅力~

 

劇団犯罪友の会の魅力は前述の物語に加え、その芝居の内容に応じて造られた野外劇場によるところが大きい。

江戸時代の道頓堀や両国橋の袂に並んだ安物の芝居小屋とは、全て丸太組みだったようで、このような雰囲気だったのだろう。

野外劇場はけっして奇をてらったものではなく、犯罪友の会の芝居を楽しみ、理解してもらう為に必要な空間でもある。

野外演劇とはその空間を造り、芝居を通じて客と場を共感する、一期一会の「祭」そのものなのだ。

 

 

 

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